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Eroticism&Fashion

今回のHAIR STORYはモードなSMのエロティシズム やフェティッシュな雰囲気が漂ってます。

近年、著名なファッションデザイナーでもフェティッシュファッションのテイストを加えたコレクションが多く発表されるようになってきました。

フェティッシュファッションとは、極端もしくは(性的な)挑発を意図して製作された、ある種の衣服またはアクセサリーを使用したファッションスタイル、またはその外観のことをいう。このファッションスタイルは、常時一般的に着用されるものではない。


エロティシズムなファッション写真で有名な写真家を紹介していきます。



ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)


1920年、ベルリン生まれ。(ユダヤ系の両親) ベルリンのアメリカンスクールで学び、その頃から写真に興味を持つ。そして、写真家エルゼ・ジーモンのアシスタントを務める。 1938年、ナチス・ドイツの迫害から離れ、シンガポールでストレーツ・タイムズ社の写真家として務める。 1940-1945年、オーストラリアでの市民権を得る、そして、オーストラリア軍に赴く。(第二次世界大戦)ユダヤ人迫害を逃れオーストラリアで市民権を獲得。

1946年、戦後、フリーのカメラマンになり、PLAYBOY、オーストラリア版『VOGUE』の仕事を手始めに頭角をあらわし、1956年、「ヴォーグ」(VOUGE)(英国版)と契約してロンドンに移住。


1962年、パリに移住。『VOGUE』(フランス)で、ファッション写真家として認知される。そして、多くのフランスの雑誌に発表する。そこで、ヘルムート・ニュートンのエロティックなスタイルを確立しました。


70年に心臓発作を起こし、彼の作風が一変。

心臓発作を起こしたことにより、ストレスのかかるクライアント優位だった撮影方針から、自分が好む対象だけを追い求めるようになりました。

よりセクシャルに、よりフェティッシュに、よりエレガントに、当時のファッション誌ではタブー扱いだったコールガール、女性による男装等の倒錯、ポルノすれすれのボンテージの姿までも積極的に撮るようになります。


1976年の写真集White Women、1980年代のBig Nudesシリーズなどにより、そのアート的な評価はグローバルに確立し、不動のものにしました。


早くから映画やドラマからの着想が滲んでいたニュートンの写真は、次第にヨーロッパ上流階級や社交界をシチュエーションに、性的退廃、フェティシズムを濃厚に取り込んだ演出で強いオリジナリティを形成していく。

当初は、そのエロティシズムは理解されず、時にサドマゾ、露出狂なども連想させるイメージはポルノぎりぎりと言われたが、その技術と戦略は卓越しており、その芸術としての思考的背景や技術におけるスタイルは、時代の常識の打破と評価されるようになりました。



ギイ・ブルダン              ( Guy Bourdin)

1928年、パリ生まれ。第2次大戦後の兵役後、画家として活動したが、マン・レイなどシュールレアリストの影響を受けた写真作品が業界の目にとまり、55年2月号の仏『ヴォーグ』誌に初めてファッション写真が掲載されました。



豚の生首がならぶ肉屋の前に着飾った女が立っているという奇抜なものだったが、見る者に深い空想を示唆するような構成の面白さが評価されるようになり、1955年から87年まで、30年以上『Vogue Paris』の写真家として働く。

1970年代、80年代の世界的なファッション誌は、彼の写真で埋め尽くされた。シャルル・ジョルダン、ブルーミングデールズ、ディオールの斬新なキャンペーンも手掛けている。

グラマラスでありながら、その多くがシュールな彼の作品は、ファッション写真の分野に変革を起こしました。

ヘルムート・ニュートンやデボラ・ターバヴィルらとともに、70年代ファッション写真に決定的な影響を遺した奇才と評されました。


91年にこの世を去るまで1冊の作品集もなかったが、2001年に回顧写真集『EXHIBIT A』が完成。03年から世界各地を巡回した回顧展も大きな話題となります。



ファッションを作品の主題として扱うのではなく、贅沢な装飾として表現し、欲望や消費そして性的欲求のなかに潜む暗い幻想を描写した。

シュルレアリスムの影響を受けた画面構成、青緑色などの鮮やかで印象的な色彩、女性の官能的な描写が特徴。

その世界観はティム・ウォーカーやニック・ナイトら、現代のファション写真家に多大な影響を与えています。




エレン・フォン・アンワース (Ellen Von Unwerth)

1954年、ドイツのフランクフルト生まれのフォトグラファー。

孤児だったエレンは里親の世話をしながらドイツのミュンヘンにある高校を卒業後、マジックショーのアシスタントとして約3年間働き、サーカスやスタントショーなどで働く中で自分の周りの人や物の写真を撮り始めました。

エレンが撮影しているユニークでカラフルな写真作品は、マジックショーのアシスタントとして華やかなパフォーマンスの世界にいたことが影響しているようにも捉えられます。

20歳のときにファッション写真家からスカウトされたことをきっかけに、モデルとなり、パリのエリート・モデル・マネジメントに所属し10年に渡って活躍。1984年に雑誌の撮影でケニアを訪れた際、自身で撮影した写真がジル誌に6ページにわたって掲載されたことが転機となりフォトグラファーを目指す。その作品を気に入ったキャサリン・ハムネットがアンワースにキャンペーンビジュアルを依頼したことでファッション・フォトグラファーとしてのキャリアが始まりました。


クラウディア・シファーを起用したゲスのキャンペーンなどが話題となり、一躍トップフォトグラファーに仲間入り。


70年代までの男まさりな女性美ではなく、セクシーな女性らしさを明るくナチュラルに切り取るスナップショットはそれまでの女性像を大きく変え、一躍世界に知られるようになります。

1991年にインターナショナル・フェスティバル・オブ・ファッションフォトグラフィーで1位に。女性写真家ならではの感性はミュージシャンからも愛され、リアーナやブリトニー・スピアーズ、クリスティーナ・アギレラなどのアルバムジャケットも多く撮影している。またレブロンやクリニークなどコマーシャルフィルムの監督もこなす。


写真家として発信しているポートレート作品は官能的なヌードフォトグラフィーでありながらポップでキュートな演出をしEllenの写真に魅了される女性ファンも多くいます。

2019年FRANCFRANCの春夏ビジュアルキャンペーンを手掛け、ガーリーな世界観が炸裂。



Ellen Von Unwerthは『VON』というタイトルのファッション雑誌の制作も行っています。

Miley Cyrus(マイリー・サイラス)やCate Blanchett(ケイト・ブランシェット)など有名人が表紙を飾り、現在では完売で手に入らない号も。



スーパーモデルたちをリラックスした雰囲気の中で演出できる女性、という立ち位置も貴重で、その後の女性フォトグラファーたちの台頭を勇気づける存在にもなりました。


​いかがでしたでしょうか。エロティシズム やフェティッシュな写真はファッション界に大きな影響を及ぼし、いまだファッション業界にインスピレーションを与え続けています。

いつまでも色褪せない作品の数々、ここでは紹介しきれない写真集もたくさんあります。是非ご覧になってみてはいかがでしょうか。


ERI






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